「道の進み方」 03−09−07
ルカ9:57〜62
主イエスに従い、主の後姿を見つめながら生きるのが信仰者の生活スタイル
です。そこにこそ人としての喜び、幸いが生まれてきます。また心強さを伴った
生き方が生み出されていくのです。
その時、主イエスに従おうとした3人の人が登場します。三人目の人(61〜62節)は、やり残したことが気になって、自分の後ろを見ています。わたしたちの後ろ
には、やり残したこと、後悔、欠けが詰まっています。主は、それらを放っておけば
良いとおっしゃるのではありません。
主に従うことで、それらの解決の道が開かれていきます。主の後ろ姿をじっと
見つめ、主の働きを見つめる中で、自分のなすべきことが示されてきます。
神からの知恵と力を与えられ、過去の事柄に向き合うこと、また、本当に家族を
愛し、関係を築きあげていくことが可能とされていくのです。
二人目の人(59〜60節)は、父親の葬りを優先したいと申し出ます。
それに対する主のお答えは冷たく聞こえますが、主は十字架にかかられた後に
復活され、死に勝利される方であることを忘れてはなりません。そして、真に
死者をお委ね出来るのは、この方しかありえないのです。だからこそ主は、
死に振り回され、嘆きしかないような葬りをしなくてよいように、ご自分に従って
くることをお求めになるのです。
最初の人(57〜58節)は、主に従うことに積極的な人でした。
主は<人の子には枕する所もない>とおっしゃいます。従う決意に水をさすような
言葉に見えます。
「枕するところもない」とは、ご自分の受難のことであると思われます。
主に従うことの厳しさを知らされるのです。しかし、枕するところもなくて不安定
なのは、本当は主ではなく、私たちの姿です。主は、そんな私たちと同じところに
立とうとしてくださるのです。
主に従う生き方は、実は私たちの決意によるよりも、主がそこにいてくださる
ことで可能となることです。枕するところのない不安定さに立ってくださるから
こそ、主を見つめながら従う生き方が出来ます。